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一首評(No.9)
  硝子器のひびを愛すとあざやかに書けばいつしか秋となりゐる (杉原一司「あくびする花」)

 東京での初めての夏が終わり、いつの間にか秋が過ぎ、ぽっかりと冬になってしまった。
 杉原一司のこの歌は、そういった季節の終始を劇的に詠ったものではない。

 「硝子器」とはそのまま、ガラスのうつわのことだろう。華美なカットグラスだろうか。シンプルなガラスのコップだろうか。捉えられるイメージは感傷に伴い、読み手によって異なってくるのではないだろうか。
 そこにひとすじの「ひび」が入っている。「愛す」という表現から、決定的な傷というよりかは、作者だけが知っている、あるいは気づいている、微細なもののように思える。 
 ガラスの器にあるひびを愛する、とあざやかに書く。シミリーではなく、直接的に「書けば」と詠い切ってしまっている。「あざやかに書」かれるのは読み手の目前に現れる透明な一枚の紙の上になのか、あるいは「硝子器」自体になのか。
 一連の行為はとてもポエティックで、まさに硝子のひびのような感傷と、書きあげる筆のつよさを感じる。

 そしてストーリーをまとめあげる結句で、「いつしか秋となりゐる」と大胆に述べている。前後の関連性はこれといってないのに、歌の流れに不自然さを感じさせない。
 前衛短歌運動以前、戦後直後の当時にこのような「詩的飛躍」を含む歌を発表することは、杉原の表現する意志のつよさを感じることもできるが、実験要素も多かったのだろう。彼から多大な影響を受けたとする本邦雄は著書『定型幻視論』の中で、「杉原のうたはすべて実験の域を脱していない」と述べている。
 またこの歌に関しては「『詩と詩論』や“新感覚派”からの遠い間接遺伝が見られる」と解釈している。
 
 杉原は二十三歳という若さでこの世を去る。本らと短歌同人誌「メトード」を創刊するも、彼の死とともにその活動は終わる。(本邦雄は生涯を通して杉原を信頼し尊敬し続け、彼の処女歌集『水葬物語』の扉には「亡き友 杉原一司に獻ず」の一文がある。)
 「硝子器のひび」の「ひび」は、もしかしたら「日々」との掛けことばだったのではないか。そんなことをも考えさせる危うい青春性が、杉原の歌の特徴のひとつでもある。

 ことばの間から秋陽が洩れ出ているような、なんて耽美的な哀愁と、やさしいつよさに満ちた歌なのだろう。

参考 『現代短歌大系11 新人賞作品・夭折歌人集・現代新鋭集』(三一書房・一九七三年)

(文責・井上法子)

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