早稲田短歌会の公式HPです。
  • 07«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • »09
一首評(No.5)
雑談の中心としてきらめけるスケートの刃のような不在者     大滝和子 

*******

この一首は”不在の在”を新たな視点で切り取っている。

”不在の在”と言われても、今までそんな言葉を見たこともない、という人もいるかもしれない。
簡単に説明すると、
たとえば失恋など、何らかの理由で今までそばにいた人を失った後にその人のことを思い出す時。実際となりにいた時以上にその存在を大きく感じることは“不在の在”の一つの形だ。
無いこと、存在しないことによって、却ってその存在感を増すものが”不在の在”である。


もちろん、“不在の在”なんてものを考えなくても、この歌は魅力的だ。
「雑談の中心としてきらめける」という表現が、中心とされているのは何なのだろう、という期待を読み手に与える。単語レベルでは、得体の知れないような、輪郭がぼけたようなイメージを持っている「不在者」が結句にどんと置かれているのにも惹きつけられる。「スケートの刃のような」という形容で「不在者」が鮮やかに立ち上がっている。

一読して、不在でありながらも中心にいる、という鋭い視点にはっとさせられた。
その鋭さゆえに、「スケートの刃」という鋭利なものを一首の中に持ってくることはある種の常套手段に見えてしまうかもしれない。
しかし、「スケートの刃」はただ鋭いものではない。本来は氷に刃をいれて移動するためのものだ。この言葉の選択によって、自分たちの雑談している場所へ別の空間にいる「不在者」が刃をいれている、とでもいうような描写になっている。話題にされているはず「不在者」が実は自らを話題にしているのだ。能動的でアグレッシブな「不在者」がここに存在する。

「スケートの刃」だけではなく、歌中の言葉のどれもが「不在者」にそれぞれの角度からイメージを与えている。

金属質なスケートの刃と、話題の中心になっている「不在者」の存在感、その二つを結んでいるのは「きらめける」という表現である。
きらめくスケートの刃は移動するとともに光の反射の具合を変えて行く様子までも想起させる。また、きらめく不在者からは、雑談が行われている場所からは離れた空間でくしゃみもせずに飄々と過ごしているような明るく面白みのある人物像が浮かぶ。スケートですいすいと移動する不在者を「中心」にすべく、雑談中の人々が右往左往しているかのような、コミカルな印象さえも受ける。

話題がころころと変わっていく「雑談」は話題の一つ一つの境目が曖昧なものだ。そこに登場する「不在者」は唯一くっきりとした像として浮かび上がる。そんな堂々たる不在者へ、作中主体は羨望の念をもっているのではないのだろうか。“不在の在”への羨望である。
アグレッシブで羨むべき“不在の在”がこの一首で産声をあげている。

文責:小田原知保


・紹介した一首を収録している歌集

 『人類のヴァイオリン』 大滝和子
スポンサーサイト
コメント

管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL

Copyright © 2017 早稲田短歌会. all rights reserved.