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一首評(№3)
  借りた詩集二冊かかへて逢ひにゆく街は一神教のざわめき  
                                   (魚村晋太郎『花柄』)

「冬虹」と題された一連から。
連作中の季節から、おそらく一神教とはキリスト教であろう。
クリスマスに賑わう街に、借りていた詩集を返すために出て行く。
想像すると、いささか詩集が効きすぎているとすら思ってしまう相聞のシチュエーションだが、そこには決して往来のクリスマスツリーのような過剰装飾の恥ずかしさはない。

例えば二冊の詩集。
二冊という具体的な数詞の中には、個人的な背景が感じられ、読者の注意を惹きつける。また、街のざわめきが一神教のものであるのに対し、主体が二冊の詩集を携えてその中にいる、というのも集団と個人の対比として秀逸である。

きっと二冊の詩集は持ち主のセンスの良さが表れているような、美しい書物なのだろう。そんな気さえしてくる。逆に、文庫の翻訳物だとしても雰囲気はなかなかだが、抱える、という動作の大きさからするとその読みは少々難があるか。

詩集への邪推はさておき、この一首はなにより一神教のざわめき、という言い回しが面白い。
一神教というちょっと物物しい宗教用語に、クリスマスに浮かれている巷から少し距離を置いた視線が現われている。しかし別に変に醒めているわけではない。あくまではしゃぎすぎていない、というだけのことだ。街全体を包む華やかさの中で、主体の個人的な目的も、それに向かう感情もまた確かに華やかなものになってゆくのだ。

一様な街のざわめきのなかを、自分の目的、自分の幸いを静かに感じて足を進める。君に返す詩集を二冊抱えて。


魚村晋太郎の歌にはこのようなものもある。

 花束を濡らさぬやうに足早にゆくはなやいだ方を地に向けて
                                    (同)

こちらも幸せな、しかもそれを声高には言わない良い歌である。
足早に、だが決して走ることはしない。
これが大人の余裕であろうか。

文責・吉田恭大


花柄(魚村晋太郎歌集)花柄(魚村晋太郎歌集)
(2007/12)
魚村 晋太郎

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