早稲田短歌会の公式HPです。
  • 08«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • »10
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
一首評(No.10)
 わが体(からだ)なくなるときにこの眼鏡はどこに置かれるのだろう (高瀬一誌)

 
 実は、人間の肉体よりも眼鏡のほうが耐久性が高い。生命機能を停止させた人間の肉体はすなわち死体となり、自然による腐食を免れることはできない。そして、日本人に限っていえば、ほとんどの死体は火葬されて消滅する。そのとき「わが体」は、この世界から「なくなる」。だが、私の眼鏡は私の肉体ではないから、私の死と同時に腐食を始めることはない。つまり、「わが体」は眼鏡を残して、「なくなる」のだ。
 残される「この眼鏡」が問題である。私は、私がいずれ死ぬことを、さらに「わが体」が最終的に「なくなる」ことを知っている。二句目までの定型には諦観がある。しかし、「この眼鏡」のこととなると、私は途端に不安になる。第三句をすっとばして九音八音と詠みきってしまう韻律は冷静とはいえまい。私は私であるうちに死ぬ。私の肉体は慣例的に焼かれて消えるだろう。では「この眼鏡」はどうなるのかという思案に至り、私はこれに関われないことに気づいて不安になる。
 この不安が生きる私を苛む。死そのものの不安ではなく、自分の関わりを断たれた世界への不安である。だから、人は死ぬ前に遺言を残すのではないか。遺言は、死んでなお私が世界に関われる唯一の手段だ。私のいない世界に、私の遺志が関わり始める。しかし、遺言は生きた人間を媒介せずには機能しない。私の遺志を行為へと移してくれる者は、私が生きているうちに選ばれなければならない。しかし遺言を託せる者は、私にとって可能性として見出されるに過ぎない。当然だが、遺言が正しく機能するかどうかは、そのとき死んでいる私には見ることも聞くことも叶わないからだ。だから、遺言とは賭けである。遺言を託す者へ、私は全面的信頼を与える。そして、挑むに足るほど、私は私が残した世界に、私にあたうかぎりの関わりを持ちたいという欲望とは強いものだ。
 この一首には遺言の要素が含まれている。なぜなら、「この眼鏡」は「置かれる」からだ。つまり私は、私という所有者を失った「この眼鏡」を、あるべき場所に落ち着かせてくれる誰かに、賭けている。「この眼鏡」を置く動作主は、まさに動作するまで匿名なのだが、私はまずもって〈眼鏡を置く者〉を選んだのだ。
 この一首は「眼鏡」でなければならない。眼鏡は、その所有者が死ぬとき、同時に世界で最も正しいその使用者を失うからである。また、眼鏡が資産的価値を有することはまずないし、あるとしても極めて例外的だろう。ならば、交換価値も使用価値もない遺物を、わざわざどこかに置こうとする者の意図とは何か。それは、死んだ者を偲ぶためだ。だから、〈眼鏡を置く者〉とは同時に〈私を偲ぶ者〉である。〈眼鏡を置く者〉を見出した私に、〈私を偲ぶ者〉が見出される。〈私を偲ぶ者〉は、〈眼鏡を置く者〉になったときに、私の信頼を受け取る。私は彼に賭けている。私より少しでも長生きしてくれて、私の遺志に気付いてくれることを切望して。
 私はきっと、悔いを残し、仕事を残し、大切な人を残して死ぬのだが、私が残す眼鏡を、どこかに確かに置いてくれる者がいるとするならば、生きる私の不安はわずかなりとも軽減されるだろう。私を偲んでくれるその人は、眼鏡を「どこに」置いてくれるのだろうか。他ならぬその人なら、正しい置き場所を知っているはずだ。


参考、『高瀬一誌全歌集』(短歌人会、2005年)

文責・中川治輝
スポンサーサイト
コメント

管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL

まとめtyaiました【一首評(No.10)】
 わが体(からだ)なくなるときにこの眼鏡はどこに置かれるのだろう (高瀬一誌)  実は、人間の肉体よりも眼鏡のほうが耐久性が高い。生命機能を停止させた人間の肉体はすなわち死体となり、自然による腐食を免れることはできない。そして、日本人に限っていえば、ほと... 続きを読む
まとめwoネタ速neo | 2012/05/12(土) 07:38
Copyright © 2017 早稲田短歌会. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。